天皇陛下のご真影を燃やして足蹴にしてもよいのか
紀元4世紀。仁徳天皇は高台より眼下をご覧になられた。家々のかまどからコメを炊く煙が立ち昇っていないこと確認すると、つまり、民衆が十分な食料を得ていないことにお気づきになると、陛下は向こう三年の税を免除する決定をされた。
この決定後、陛下は衣服を新調せず御所の屋根が壊れてもそのままにした。
三年が経過し、ようやくかまどから煙が立ち昇る様をご覧になった天皇陛下はこう仰った。
「私はすっかり富んだ」
しかし、皇后はこのこの言葉を理解できません。天皇も皇后も着ているものはボロボロ。家もボロボロ。どうしてこれで富んだといえるのでしょうか。その問いかけに天皇陛下はこう答えられた。
「もし民が貧しいなら私も貧しいに等しい。もし民が豊かなら私の状況はどうあれ私は豊かなのだ」
1918年 第一次世界大戦終結。敗戦国ドイツの皇帝ヴィルヘルムⅡ世は莫大な財産を抱えて自国ドイツより逃げ出していた。そして、追及された戦争責任についてはこう答えた。
「オレはわるくない!部下が勝手にやったことだ。オレには全く責任がない!」
人は窮地においてはほとんど例外なく彼のように振る舞うだろう。
1945年 第二次世界大戦終結。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、終戦後初の首脳会談を控えアメリカ大使館にて昭和天皇を待っていた。これまでの敗戦国の指揮者同様、きっとヒロヒトも狼狽え命乞いするだろう。マッカーサーはそう高を括っていた。
ところが、現れた天皇は毅然として次のようなことことを仰った。
「全ての責任は私にある。私が切腹するので国民は生き永らえさせてほしい」
近現代史に造詣の深い方なら、陛下には一片の責任もないことをご存知だろう。日本が侵略戦争をしていたという内容は、この後の世界がでっち上げたプロパガンダである。
つまり、陛下は日本国への想いだけで自らが磔にされることを選んだのだ。
この英傑を この菩薩がごとき人格者を足蹴にするかよ。
キサマのことは知っているぞ。遺憾である などいう生ぬるい表現では足りぬわ。我々日本人のキサマに対する憎悪は灼熱の憤怒だ。
今すぐお前の国へ帰れ。
そして地獄に堕ちろ。