藤崎報告書

現地に足を運んで、あるいは書籍等で調べたことを簡潔にまとめます。この内容がどなたかのお役に立てるなら幸いです。

侵略とはなにか

 学校での歴史の授業においては、列強の勢力拡大について先生は次のような論調で講釈を垂れたものである。
 

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 紀元前323年 マケドニアはペルシア方面に進出し広大なエリアを支配圏とした。たいしたもんだ。
 

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 117年 ローマは地中海沿岸一帯に進出し広大なエリアを支配圏とした。たいしたもんだ。
 

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 1942年 日本は東アジアの国々を侵略し広大なエリアを支配圏とした。実にけしからん。
 
 
 学生だったあの頃、この不条理に違和感を覚えたあなたの感性は正しい。
 日本だけが『侵略』と非難され、白人たちの行為はあくまで『進出』だとさらりと流す。いや、むしろ称える。
 いやそもそも、日本は侵略戦争をしていたのだろうか。
 
 

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 1884年 ドイツのベルリンにてヨーロッパ各国の首脳が集まりとある会議が開かれた。世にいうベルリン会議である。審議内容は、アフリカ大陸をぶん捕るに際して、誰がどこまでの土地をぶん捕るかを決めようぜ。というものである。
 

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 アフリカ大陸の地図を見て違和感を覚えなかったろうか。定規を使って引いたかのような、中には緯線経線に平行な直線で区分けされた国が存在するのだ。
 
 河川や山脈がこんなふうに直線に存在するわけがない。民族がこの直線境界で隔てられて生きてきたわけがない。そう、これはこのベルリン会議にて ガッ! っと定規を使って直線を引き「俺はここまでな。お前はここまで捕っちゃいなよ」とヨーロッパ人がやりやがった結果なのである。
 
 もちろんこれらの土地には古来から住み続けていた人たちがいたのは言うまでもない。
 なんなんだろうこれは。このベルリン会議の出席者たちは、善悪云々を問う前に完全に頭がおかしい。
 
 

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 国土を強奪する意思を持ち、その対象の土地に殴り込んだ欧米人はどう振る舞っただろう。言うまでもない。資源の略奪と労働力の収奪である。
 加えて各地では次のような横暴が公然と行われていた。
 

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 ・とあるオランダ人農場主は、粗相をしたインドネシア人女性を裸に剥いてムチ打ちし、その際にできた傷口および局部にトウガラシ紛を擦り込んだ。更に彼女を木に縛りつけ見せしめにした。
 
 ・イギリスはインドに工業製織物を輸出したいがために、インドの織物職人たちの手を切り落としインドの織物産業を壊滅させた。
 

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 冗長となるので割愛するが、これら彼らの蛮行は語り出したらキリがない。
 そう、彼らは紛うことなき侵略者である。
 
 それでは日本はどうだったのだろう。この白人たち同様、悪辣非道の権化だったのだろうか。
 それについては次の記事で述べる。